VIAGGI

CampaniaNovembre 2003

サーーー!!

さてさて、本日は列車に乗って遺跡の街ポンペイと、音楽の時間で習う『帰れソレントへ』の舞台ソレントへ。これを旧ソ連と思ってたミヅーラさまは当タイトルを聞くと厳しい冬の漁場を連想してしまう。

11月とあって朝はジャケットやマフラーも離せない寒さ。朝食にしましょうと駅前のバールに入ると、パンが並べられたショーケースの中にデカいキノコ型の物体が。お~バーバ!会いたかった~!

バーバはサバランみたいな菓子で、生クリームなどを添えて頂く、ナポリを代表するドルチェである。リキュールをふんだんに含んだこのキノコを朝から食するのはちょっとためらわれたが、オヤジも「今喰うのか!?」と突っ込まなかったためお試しをば。必要以上に鼻をつくリキュールのニオイになんか知らんが本場を感じる。

やっとお逢いできましたバーバ!
やっとお逢いできましたバーバ!

ポンペイへ向かうべくヴェスーヴィオ周遊鉄道駅とやらを探しましょう。

見当たらんと思っていたら地下から運行してるようで、乗り込んだ列車はおサルの電車のような簡易的なものだったが、逆にそれがリゾート列車っぽくてよろしい。通勤通学にも利用するのか一般の民でほぼ満席。

30分ほどでポンペイ到着、土産物屋に気を取られ歩いているうちに遺跡の入り口に着く。

ポンペイ遺跡とヴェスーヴィオ火山 1900年前の人も同じ風景を見てたのでしょうかぁ
ポンペイ遺跡とヴェスーヴィオ火山
1900年前の人も同じ風景を見てたのでしょうかぁ

朝早いからか人影もまばら。ここでは必ず日本人ツーリストを従えた観光ガイドが登場するので説明には困らないと何かに書いてあったが、本日はそれも期待できなさそう。自慢じゃないがポンペイの予備知識なんてまったくござんせん。しかも窓口で地図をもらい忘れたときた。

それでも現代のイタリアの石畳にも遜色ないしっかりした馬車道や円形闘技場、居酒屋のかめ、壁に書かれたアルファベットなど、いい保存状態の遺跡に感心しきり。1900年前にファブリッツォさんやアントニオさんがいたかどうかは知らんが、火山に「噴火する前に言ってくれよぅ」と言いたかったにちがいない。

ちゃんといかにもな主柱とかもありますねぇ
ちゃんといかにもな主柱とかもありますねぇ

ポンペイを後にして向かうは、旧ソ連の漁場ではなくイタリアのソレント。昼も近づき陽も暖かくなって、絶好の散策日和だぞぅとワクワクするも、30分ほど列車に揺られ着いた駅前は意外にひっそり。

テキトーに昼を食し目抜き通りを歩き、ハムスターの大豪邸になるほどのチョコの家をディスプレイしたジェラテリアでジェラートをお買い求めすると早々に撤収。列車内で地元のオバちゃんの大声で交わされる会話に耳をふさぎながら、再びナポリの街に戻る。

もっと他に写すものもあったろうに的なお写真
もっと他に写すものもあったろうに的なお写真

中央駅付近にメルカート(市場)がある。他の街のそれと比べてもかなり土着的で庶民臭く、なんとなくウサン臭い。何か買ってみようと我々が目をつけたのは酒屋のヴィーノ。一升ビンほどの大きさで2ユーロとはこりゃお安い。栓抜きいらずのクルクルキャップということもあり、寝る前に楽しもうとお買い求め。

さてさてお夕食の時間〜!
さまよった結果、昨日とは別の駅前のリストランテに潜入、我々の後に米国人ぽい御一行さまも着席。ミヅーラさまの浅い経験値から、食事中にコーラを注文する観光客はかなりの確率でアメリカ人である。知らんけど。

さて、本日もヴォンゴレ・ロッソと海の幸のフリットを注文。冷えたヴィーノビアンコを流し込み、パスタをかっ込むこのシアワセ。カーニボンはいつものように「旨し旨し」とパンを食す。

部屋に戻り、お待ちかねの2ユーロヴィーノを開けましょう(祝)。ごっきゅんごっきゅん。むむ?なんか酸っぱい。本場のヴィーノはこんなに渋い味なのか?横ではカーニボンも首を傾げている。もしやこれは、

  • 煮込みなどで大量に使うための料理用か
  • 飲用だがキャップが弱く酸化したか
  • 本当にこういう玄人向けの臭い味か

それでも自分をごまかし消費を心がけたが、貧乏根性をもってしてもムリであった。・・・ああ、今日もよく歩いた。お疲れであった、カーニボン。