VIAGGI
ごっきゅーーん!
さあ、本日はお名残惜しいがイタリアを離れ、ヘルシンキ経由で帰国する日。ミラノ中央駅から出る朝9時のリムジンバスに乗るため、7時前にはブレシアを出発しましょう。
溶けた雪でシャバシャバになった道を、旅の仲間でありますところのスケさん(スーツケースの愛称)に歩いてもらい駅へ。
切符を買い時刻表を確認すると、なんと乗るはずの列車が雪の影響か運行キャンセルになっている!駅に人が溢れているのはそのせいか?
「まあ、次の列車でも間に合うかと思いますよカーニボン」
「ご覧なさいミヅーラさま、次の列車にもキャンセルの文字が!」
キャンセルが続くとフライトに間に合わなくなる。窓口で情報を求めると、「次は来ると思う。知らんけど」という駅員の言葉どおり、意外にも次の列車はほぼ定刻で入線してきた。
ピッツァの民たちをラリアートで押しのけ席を確保し、一安心したのも束の間、雪の中動いては停まりを繰り返し、ミラノ中央駅に着いたのは当初の予定を40分は超えていた。帰国前日はやはり市内に宿泊せねばと反省。
ミラノ中央駅からはどうにか想定内のリムジンバスに間に合い、高速を快調にかっ飛ばし着いたマルペンサ空港。オンラインチェックイン済みであるも、旅の仲間スケさんを預けるためフィンエアーのチェックインカウンターへ滑り込んだ。
安堵し搭乗券を受け取ると、カウンターのスタッフが最後に笑顔でこんなことを言った。「in ritardo di un'ora~」
むむ?リタルド・・・?
まさか空港でそんな単語が出るとは(なぜかその時は)1ミリも考えず、「リタルド・・・」とアホのように繰り返したあとでハッとする。ちょっと待て!1時間の遅延?!列車も遅れて飛行機までもが!
「ヘルシンキで乗り換えがございますが!」とのコロナ隊の焦りに「2時間のトランスファーがあるから大丈夫」となだめられ、そういやそうですなと余裕で手荷物検査を抜け、ハナをほじりながらロビーに進み、アホ面でビッラとピッツァなんぞご注文。
しかし離陸30分前の搭乗時刻になれどモニターには「案内を待て」の表示のまま。その後ようやくゲートが確定してもボーディングブリッジの先に乗り込むフィンエアーの姿がない。
どうも我らの便は天候事情によりまだ到着すらしていないらしかった。トランスファーに充てる2時間の猶予もどんどんなくなっていく。結局離陸は予定より2時間近く遅れてからだった。ヘルシンキはコンパクトな空港とは言え、15分のトランスファーなんて可能なのか?
機内は中華ワールド全開であった。
餃子の民は人間もスマホもミュート機能がないらしく、大音量でスマホゲームに興じている。乱気流で着席しろとクルーに怒鳴られても笑ってギャレーで茶を飲む。こらこらおっさん、頭上の荷物棚のフタを開けたまま去ってはならぬ。中華系航空会社には数回乗っているが、こんな最強集団は始めてなり。
あと40分ほどで着陸だろうか、機内アナウンスで残っていた一縷の望みは粉砕された。「次の乗り継ぎ便は間に合いません」とし、関空行きほか10ほどの便名が挙げられたのだ。
「カーニボン、我々は難民に決定いたしましたぁ」
「なんか知らんけど訪問国がひとつ増えるのですねミヅーラさま」
皮肉にもコロナ隊がヘルシンキ・ヴァンター空港に着陸した時は、時間的に乗り継ぎ便はまだ滑走路上と思われる。これも遅延に巻き込まれていれば乗り込めたものを・・・(悪)。
まあ、過ぎたことは仕方ない。航空会社のカウンターで乗り継ぎ便の案内を受けましょか。
イタリアの若い娘さんと会話を交わした成り行きで共にカウンターへ出向く。しかし淡々と「今日の便はもうない」と宣言するスタッフに彼女がキレ出した!イタリア女強し!
しかし北欧女も負けてない。日本なら「お怒りはごもっともです」と米つきバッタのごとく平謝りするだろうが、「やるだけのことはやってる!アンタは列に戻りな!」と突っぱねた!
結局「明日夕方の便でソウルへ飛び、以後の乗り継ぎ便は仁川空港で案内を受けて」と、明日のソウルまでの搭乗券、空港~市内間の往復バス券、ホテルバウチャー、空港でお遣いなさいとミールクーポンおひとりさま€17を渡される。
2007年のショーペロ(スト)、2012年の緊急着陸に続き5年に一度遭遇するこの手の乗り損じ。次回開催は2022年と思われる。しかし慣れもあって動揺はなく、こういう場合焦ったり怒ったりするだけムダで、目の前に現れたガンジス川に身をゆだねてトプトプ流されるしかないのである。
旅の仲間スケさんには申し訳ないがそのまま空港で一夜を過ごしてもらい、バスへ乗るべくターミナルを出る。外に出て気づいたが、ひとひらの雪もないではないか。天候不良はこれいかに。
あいや、キレたイタリア娘も遅れてバス停にやってきたぞ。
空港から20分ほどで到着したお宿は、1階にレセプションがあるデカいホテルであった。
コロナ隊の行脚ではまずお目にかかれないバスタブ付きの広い部屋にテンソンが上がるも、乗り継ぎ難民用にかき集めた残り物ビュッフェは種類が少なく、唯一のメインであるポッロ(鶏)はカッスカスで硬かった。「これで流し込め」とばかりに各テーブルにミネラルウォーターが置いてあったのはまだ天の救いか。
「呑まねばやってられませんカーニボーーン!」
「お近くの商店で本日の宴会グッズをお買い求めしましょう、ミヅーラさま」
幸いにも夜遅くまで開いている小さな商店があり、温存していたユーロでお買い物を楽しむ。
「このおつまみ代も請求したいくらいですよカーニボン」
「ささ、呑んで疲れを癒しましょうミヅーラさまぁ」
こうして余計な5日目の夜は更けていったのだった。