VIAGGI

VenetoDicembre 2004

夜が明け、家臣の謎の胃痛も治まらないまま街が動きだす時間になってくる。
とりあえず宿の女将に果物ナイフと皿を借り、そして先ほど薬局で買った薬の飲み方も教えてもらう。

チェックアウトは11時、訊くと今夜の部屋はまだあるらしいから、それまでにどうするか決めよう。小鳥のようにしかついばまないカーニボンを見るのは初めてだ。あの時チネーゼなんかに連れていかなければ。すまぬ家臣よ。

すはっ!家臣が冬の大放出祭ですぅ!
すはっ!家臣が冬の大放出祭ですぅ!

薬の効果かそれとも単に時間の経過によるものなのか、どうにか胃の痛みは落ち着いたらしい。しかしまだシモの方が心配なご様子。1時間とはいえバスに閉じ込められるのは精神的に重圧ですからねぇ。

最終判断を下したのはカーニボンであった。「バッサーノにてグラッパを飲むのでございます・・・」と、崇高な呑兵衛の精神が勝ったかミヅーラさまへの遠慮か。チェックアウトし、「後生でございますから・・・」という家臣のリクエストにより珍しくタクで駅まで向かう。

バッサーノ行きバスの切符は不思議なことに、駅の荷物預かり所で売っていた。ローカルバスはほぼ定刻に到着、車内は地元民で満員御礼。

約1時間後、バスはグラッパ山がそびえるバッサーノに到着。カーニボンはというと、胃の痛みが再発する恐怖で、車中死ぬ思いだったようだ。確かに顔には生気がなく唇も切れたままなので余計怖い。観光案内所で宿を探してもらうが、お高いお上品なホテルが多い。今回は病気の家臣付きなので、近くて行きやすい、そしてジローラモ氏の本で紹介していた『AL CASTELLO』に決定。

冷たく澄んだ空気をグラッパ山からお届けします
冷たく澄んだ空気をグラッパ山からお届けします

10部屋あるかないかのその宿は、事前情報の通り清掃が行き届いており、落ち着いたオーク色の家具がすこぶるお上品。部屋に入るとカーニボンはそこで力尽きる。苦労かけましたねぇ、と気遣ったかどうかは忘れたが、そんな家臣を置いて街の散策開始~\(薄情)/

街のシンボル屋根付きPonte Vecchio(通称アルピーニ橋)ですよぉ
街のシンボル屋根付きPonte Vecchio(通称アルピーニ橋)ですよぉ

天気はいいものの、さすが北に位置する山あいの街だけあって風は身を切る冷たさ。早速、地図を頼りに街の象徴とも言えるPonte Vecchio(ベッキオ橋)へ。ワタクシよりもお宿でダウンしてるカーニボンの方がご執心だったのに。早くよくなれと思ったかどうかは忘れたが、道すがら発見した商売上手なチネーゼ(中華屋)で遅いお昼をtake away~

病人でもなんとか食えてしまうのが醤油パワーだが、ありったけの力でもってしても、スープ2口でまたコテっと横になってしまったカーニボン。救急車で運ばれても食欲だけはある家臣がこんな姿になろうとは。よりによって美食の国で。

グラッパ山を見つめるチンさんに遭遇
グラッパ山を見つめるチンさんに遭遇

腹も膨れ午後の散策へ。広場にはナターレ商品を扱った、メルカティーノと呼ばれるログハウス風の屋台群が設置されている。人形、置物、吊り下げオーナメントなど、正直「買ってどうする」的代物だが、冬の雰囲気に合っていて、赤・緑の配色は目に楽しい。

その広場からほぼ放射線状に小路が広がり、古くこじんまりした食料品店やグラッペリア(グラッパ屋さん)がひっそりと営業している。ああ、カーニボンが元気だったら昼間っからグラッパを楽しんでいただろうに。そもそも今回の旅の主たる目的はグラッパであった。コレは食いしんボンが乗り越える一つの試練なのか。

昼から数時間も経たず再びあのチネーゼを訪れた時は、店員も正直「またか」と思ったに違いない。途中までついてくるもやはり引き返したカーニボンは、戻るとまた元の体勢で横になっている。アツアツの中華を小鳥のようについばみ、コテっと横になる。明日もこんな調子か。良くなっていればいいな。お疲れ様であった、カーニボン。