VIAGGI

PugliaAprile 2006

ボヘ~~!!

なんやかんやと出発当日になてもた~!ギリギリまで催行が危ぶまれた今回の行脚だったが、当初の狙いそのままに長靴半島のかかと州へ向けて飛び立とうとする我らコロナ隊。出発日はいつもながら早朝5時。

ろくろく事前調査もできなかった今回の旅を危惧し、関空で搭乗待ちの間少しでも現地情報をとネット閲覧をしていると家臣のカーニボンが見つけたサイトに気になる一節が。

『オストゥーニ、白い迷路の街』

白い迷路・・・。それだけをサラっとメモし、我々コロナ隊は搭乗する人の波に合流して行った。

今回の旅は夜行列車を使う初の試み。楽しみな反面、懸念されたのはイタリア到着日に乗り込む列車の出発時刻が夜中の0時であること。毎回夕方フィウミチーノ空港に到着するが早いか押し寄せる眠気と戦いなんとか晩メシを食し、這うように宿へ戻るミヅーラさまとしてはこれはかなりな不安材料である。

関空を出て十ン時間後、ようやっとローマはフィウミチーノ空港到着。時刻は午後6時半。入国審査でバッティングした大量のアジア人さばきに時間がかかったのか、シャバへ掃き出された頃にはもう陽もトップリ暮れていた。ここで初めて外気に触れるが、上着を着てちょうどいい4月の夜。

2年ほど前に登場したタッチパネル式の券売機をピコピコやっていると、「お~い」と手まねきする切符売り場のオヤジが。ヒマでガイジンにちょっかい出したいのだろう。

オヤジは「ハァ~イ!」とメリケン式に挨拶するも、イタリア語モノラル対応のよう。ついでにインター熱湯予約した夜行列車の分も発券してくれ、「ビナリオは1番線」とホームの案内までしてくれた親切なオヤジにのっけからいい気分。

夜9時を過ぎてテルミニ駅へ降り立つと腹のすき具合も絶好調。せっかくですからと3年前に行った、日本人と見るや「ナカ~タ!ナカム~ラ!」と連呼するカメリエーレのリストランテへ行きましょう。おぼろげな記憶を頼りに辺りを散策していると、頭の羽をビィ~ンとさせたカーニボンが一軒の店の前で「ここではないでしょうか!?」。そして中からあわただしく出てきたカメリエーレが一言「ナカム~ラ!」。おお!まさにこのオヤジ!この店だ!

まずはビッラで乾杯!プロシュット盛りと、3年前革命的にンマいと感じたカルボナーラをご注文。3年前の衝撃はないもののやはり美味しい一品。さて、懸念していた夜行出発までの時間も余裕で潰せ、遅延なく入線してきたエウロシティー・ナイトに感動しつつ乗り込む。

個室寝台が取れず、やむなくクシェット(簡易寝台)にしたが、意外に快適&衛生的で合格点。夜行列車の詳しい案内は後述のカーニボ日記を参照くだされ。同室のイタリアオヤジは列車が動き出すとすぐに寝たいらしく、室内灯のボタンの操作方法をコロナ隊に説明しだし、ほなヨロシクと明かりを消した。

今日は長い一日でしたねぇ。翌朝はバーリ到着。明日もお供を頼みますよカーニボン。

こちらが本日の私どものお宿(兼移動手段)ですねぇ
こちらが本日の私どものお宿(兼移動手段)ですねぇ

みなさまごきげんいかがですか?カーニボンでございます。今回はイタリア夜行列車の旅をお伝えいたします。といっても寝台列車は初体験でございますぅ。

幼きころからの憧れがここイタリアで実現するとは!(男の子は電車好きで、しかもブルートレインなんて聞いた日にゃ卒倒して喜ぶことでしょう)

てなわけで列車の中をご紹介。今回は4人部屋の簡易寝台。室内の汚さは相かわらずですが、シーツがきれいなので問題なし。しかもお水とスリッパが付いておりました。(このスリッパなかなか丈夫で、ずっといっしょに旅をすることになります)

ベッドの横幅は狭く(ソファぐらいでしょうか)、列車がよく揺れるので2階で寝る場合は落下防止ベルトを忘れずに!合部屋のオッチャンだけ毛布をもっていたので車掌のところにもらいに行くことにしました。が、毛布をなんて言うのか解らずモジモジしていたら、「XXXXX、XXXX~X!」と早口で何か言って去っていかれました。後でちゃんと持って来てくれたので通じていたらしいです。

その後、また車掌がやって来て切符を奪っていきました。理由は後で解ったのですが、お客さまを降りる駅の手前で起こすためでした。意外や親切と思いましたが、車内放送の無いイタリアの列車では起こしてくれなきゃ話になりませんわなぁ。というわけで、十分に足を伸ばすこともでき、ワタクシはスヤスヤ眠ることができました。(ミヅーラさまはあまり眠れなかったようですが・・)ぜひ、また利用してみたいものです。。。